難値難見

正法において難値難見の慶喜を得る者は、

仏の智慧眼そのままの信心の智慧を獲たるものである。

 

無上浄信の暁に立って、世の虚妄の真相がほのかに見えそめてくる時、

大悲の御悲しみが何であるかがわかり初めてくるがゆえに、

自身住持の楽に囚われて歓喜をこの上得たいなどとは貪らなくなる。

 

ましてや、世のはてしなき闇路におどる同胞を見た時、

身の幸を知れば知るだけ、報謝の念禁じがたく、

世の一切の苦難にも忍び、愚痴さえ信心の智慧に転成せられて、

ありのままの世に合掌して生ききらしていただくのである。

 

念仏の子は真の歓びと悲しみを知る。

ああ、世間の大衆は邪妄を追うて正法ましますことすら知らない。

(閃光録 43 「難値難見」)