愛憎以上の世界

愛は立場を造る。そうして一歩も譲らぬ時、愛は恐るべき自障となる。

そしてその愛とともにあるものは疑である。

親子、兄弟、夫婦など肉親の間柄が、それが悪くなった場合は、赤の他人よりはもっと深刻である。

言うまでもなく、肉親をつなぐものは愛だからである。

愛は必ず憎しみをはらむ。

善導大師が、二河譬で「水火二河」と言うゆえんである。


愛は必ず疑う。愛は必ず憎む。愛は好きはしてもけっして信じはしない。


人と人との交渉が愛でなされるかぎり、けっして永遠性はない。

いつの日にか、必ずお別れあるべく候。

ゆえに、別れねばならなくなった時、その両方か、あるいは片方かが、必ず愛にのみものを言わせていたのである。


であるから、親子でも、夫婦でも、愛だけではけっして、本当の親子でも夫婦でもあり得ない。

ゆえに、真に考える人は必ず、愛憎以上の世界を求める。
信の世界がそれである。信は如来の大慈悲を根底とする。

 

(閃光録 21 「自障 自蔽 」)