宿業の子

時々われわれは、自分の過去に通った処から処へ、線をひいて考えて見るがいい。

だれか、流転、宿業そうした言葉を、自分の上から消すことができようぞ。

宿業によって、なるがままに流転したのではないか。

しかしその宿業の展開のままが、念仏道に出されていることは、ありがたいことの極みであった。

大悲のみ胸のうちに、宿業の子のままが抱かれ育くまれていたのであった。

宿業を背負って合掌し念仏することが、私に許されたたった一つの生活であった。

たった一つの道であった。

宿業に覚めない者は、そして念仏の華を咲かすために、運命を見守って下さった大慈悲を知らない者は、自分をさえ棄てて去ってゆこうとする。

たった一人、自分を抱きしめて、じっと考えた涙の歴史を持った者だけがやがて、深い深い大慈悲に覚める。

「和尚よ、私に用事のない人間になれ。」

おたがいに大法を聞きつつ、私はあなたから完全に手をひいた。

あなたは私から手を引いた。

私はあなたから何物をも取ろうとしない。

あなたは私から何も奪おうとはしない。

どちらも独立して、自分の道を行く。

しかるにその時、永劫に離れられない一如の世界が開ける。

同一念仏の世界がそこに開ける。

こうしたことは、親子の間にも、兄弟の間にも、夫婦の間にも成就されねばならない。

 

 昭和11年 光明 「同一念仏 」