生活

唯単に話を聞いて感心する、

それだけでは浪花節道楽が一生寄席に通ったのと大差はありません。


我等は念仏の信者に了らないで、念仏の行者――即ち生活者にならねばなりません。
食事をして、子供を生んで・・・・それだけで終わるならば、それは、動物と大差のない単なる生存であって、生活とは言えません。


生存から生活へ。
宗教は実に我等を単なる生存から生活へと立ちあがらしてくれるのです。


したがって宗教は、説教者の口の中に生きるのでもなく、本の中に輝くのでもない、実に我等の生活の中に生きて光るべきものであります。


ですから如来は、その全威神力を人生にむかって働きかけて来ます。

その本願力が衆生の大生命となり、衆生の迷いを打ち破りつつ、如来が如来自身を人生に活顕すればこそ、如来を生活の本尊とよぶのであります。


ですから、

我等は人生生活をぬきにして宗教も仏もないことを絶叫するのであります。


即ち「仏の心を心として、生きぬく」ことが宗教生活であります。

  (全集第15巻 「仏の心を心としてー我らの目標2」 )