救い 

さびしさをゴマ化さないで、さびしさにたえ忍び、人生の真相に目覚めて、もっと深い世界に歩みを運ぶ者こそ、やがて救われてゆく人でなくてはなりません。

淋しさを救うことはさびしさに直面すること以外にはあり得ないからであります。


こうした人は、地上の甲から乙、乙から丙と享楽的なものを漁るかわりに、深い世界を求めてゆきます。この相こそ、求道の態度でなくてはなりません。

大胆にさびしさに直面します。そうして人生の真相にわけ入って意味を発見し、あきらかに見、やがて道を発見します。


第二のさびしさ、即ち、人生そのもののさびしさは、こうして第一の淋しさを忠実に体験して、それでゆかない人にのみ与えられることであります。

人生そのものの寂しさは、他の何ものによっておきかえることも出来ないし、又おきかえようとも致しません。人生全体、生きることの全面にただようた寂しさであります。


救いとは、淋しさから、寂しさに歩むことであります。

淋しさから、寂しさに歩むことこそ、生存から生活への転回でなくてはなりません。

「寂」の天地に呼吸する時、

淋しさが、尊い世界への通路であったことに気づくのであります。。

          

  (「光明」第14巻 人生とさびしさ )