愛欲と煩悩 

「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近づくことを快まず、恥づべし傷むべし。」


とは聖人の厳粛なる自己批判の声であります。

愛欲から愛欲の生活のどこに「恥づべし痛むべし」の懺悔がありましょう。

正定聚の数に入ることをよろこぶよりは、

 愛欲の広海に沈没せんことを願い、

真実の証に近づくことをたのしむよりも、

 名利の大山に迷惑することをたのしみとする、

それが我等の現実ではないか。

ただ合掌念仏する時、我等はかすかに聖人のおん前に懺悔して師教の高恩を感佩するのであります。


愛欲煩悩あるが故に地獄生活も生れます。

しかし愛欲煩悩なくしては如来も菩提もありません。

この肝要のかぎこそ南無阿弥陀仏の中に秘められてあります。

          

  (光明 第9巻 「永劫流転」)