名号

 名号を真に聞くこと、それが如来を真に知ることであり、信ずることであります。

まことに我らは名を通さなけれは何事をも信知することは出来ません。


 この名号は単なる音でもなく、文字でもありません。

住岡という名が私を知る人にとっては、単なる文字でも音でもなく、一人格の象徴であるように。

 しかし住岡というような名は、これが住吉とでも変えられますけれど、如来の名号は、如来それ自体の完全なる表象であります。

 我らの信の上に生れるお念仏はそのまま如来の名のりであります。

 身も心もお念仏の中にうちこまれた時、勅命とか本願だとか、一切はここになんらの疑いなく私の上に生きた事実となります。

 名号の念じられてある所、そこに如来があります。

 いわゆる名体不二の名号であります。

 み名に徹底することは真実に徹底することであります。

 名号に徹底せよ。信が生れる。

 かくて、一如、如来、名号の三態は一となって、我らの胸中に金剛の信心となりて廻向せられます。


 我らがもてあます煩悩は、如来の全生命が廻向顕現せられることによって、功徳の体と変わります。

(住岡夜晃全集第10巻 「苦悩と聖化」)