ー過去ー

人間が自分の歩んできた過去をふりかえって見るのに二つの相がある。

老人は自分の過去を語って自分に価値づけようとする。

そして、それは現在の自分がすでになんらの進展を持っていない場合である。

若人は必ず未来を語り、将来を夢見ている。

美しい幻影を追うことは、将来を持つ若人の特権である。

だが、老人の心とは別に、過去の足跡を凝視することは大切なことである。

静かに過去をふりかえると、慙愧に堪えない足どりではあった。

織られてきた一筋の織物は、ただ煩悩の絵巻物にすぎない。

だが、念仏の中に自分の過去を思うとき、油然として感謝が湧いてくる。

如来あるがゆえに歩みえた過去であった。

すべては南無阿弥陀仏に融かされてゆく。

龍樹の『大智度論』を拝読していると、歓喜について仏は、
「布施人、歓喜を得るを説かず、また多聞、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の人、歓喜を得ると説かず。独り信の人に説く。」
と言う。

真実のよろこびは信の中にのみあるとの仏意である。

信の腹が、過去、現在、未来の三世を浄化する。

                 (住岡夜晃全集第18巻 「闡光録 善逝」)