ー他力ー

 親鸞聖人の宗教は、いわゆる他力本願の宗教である。他力とは、人間小我のはからいが聖なる如来大我によって打壊れて、人格全体がいわゆる仏凡一体の世界において、絶対清浄真実なる如来によって生かされることである。


 然るに世に他力本願の文字ほどまちがって使われているものはない。

世の常識者流は他力をもって無力の意味となし、相対者が絶対者に依頼して己は何事をもなすことのないのが他力であると考えている。まちがいもまたはなはだしい。

 春来って桜の花は開く。

 彼は独立自尊己れの色に咲くといえども、これ即ち他力である。

 春が来なければ絶対に咲くことは出来ない。

 太陽、空気、水、栄養等々の他力によって彼は、自らの色に咲き得たのである。

 彼には一毫も自力を許されない。

 天地自然の母は桜花の上に生き、桜花は彼の色に咲いて自然普遍の母の懐にまた帰ろうとする。

 彼生きて、自然の母は荘厳され、自然の親が生きて桜が生きる。

 彼此一体の天地これを他力というのである。これは単なる一つの譬えであるが。

(住岡夜晃全集第10巻「我らの使命」)