住岡夜晃先生のことば       4 5


そして我等は、その人間の愛を越えての彼方に、人間愛によって結ばれた以上の永遠の大悲の光懐を知った。

そこには傷つけ合ふことなくしてしかも愛しあう同一念仏の兄弟の世界があった


多くの人は自分よりも、他人を直そうとする。
自分よりも周囲を教化しようとする。


自力は自ら念ずることによって救いを求めようとし、信心の智慧は護念の尊さに目覚める。

自力の念は念の止む時は信もなくなろう。然し念ぜられといる身であることを感謝する者には、尽きせぬ恩徳だけが光っている。


念仏の子は愛の世界のさびしさを知ると共に、念仏の世界の尊さ、にぎやかさを知る。念仏の世界は同一念仏無別道故の世界、善友善知識と共なる世界なるが故である。


先哲や師の養育せる念仏の華園に懇親して、それによって甘き汁を吸うことは易く、無仏の世界に使いして念仏の華を咲かしむることはむずかしい。


本仏の聖なる願意に忠実であることが、本師聖人の教に忠実に信順すべきことが唯一絶対となった者には、山なす大波も消えて見えぬであろう。もし、一貫の行歩乱れて、護念証誠を失わば、そこには一体何がある。戦慄に価す。問題はただ一道にあり。一心にあり。


宗教は宣伝にあるのではない。聞くことにあるのである。ただ聞くだけ、真に聞くだけ、それはやがて汝を養い、汝に大信となって充満し、ついに口から溢れて来るであろう。そこに信より流出する言葉がある。念仏がそれである


自利するもののみ利他する。利他するもののみ自利する。

極難信であろうと、難中之難であろうと、唯これ純粋に仏道を説く、気に入らざれば去れ。

何ものを以てもこれに媚びず追わず。