住岡夜晃先生のことば      3  5


念仏有縁の道俗は如来聖人より給うた最上最高の賜物である。離合集散は因縁による。一人をも所有すべきものではないが、たとい幾千里を隔つとも、真の同朋は離れることはありえない。人間の煩悩の手を放したところ、同一念仏によってつながる同朋がある。


自らの存在を他に認めしめようとせず、花を人に持たせ、自らは埋もれて自己を充実する者は、必ず顕われる。


風になびく草のごとく、本願の自然の徳風のままに動く心、大信海の全否定の相である。もしそこに硬直心あれば、本願の風、通りたまわで我が通る。
ああ、風の中に立つ硬直なる棒の相、またしてもまたしても風に動かず我によって動く。


恩を知り、恩に生きるものは、世の光である。自然の道の行者である。恩を知る者は帰る。恩を知らざる者は遠く輪廻する。帰る者は、多くの善友と共に親の懐にあり。その摂取の中にあり。


ゆたらかに実のついた稲の穂が頭を下げている。仏や菩薩はみんな大地に合掌して頭を下げていられる。凡夫と白枯れた稲の穂だけが、頭を高くあげている。凡夫はその上に、更に自分の正しさを主張する。肩をはりつつ。


我をもって教法をつかみ、我をもって教法をもてあそべば、たとえ千万年をふるとも、仏教の大海に入ることはできないであろう。

若や、世の中に尊くなる道がたった一つある。それはおのれを見つつ念仏申すこと。それじゃが、あんまり地味な道じゃで、だれもやってくれんてえ。


私に用事のない人間になってくれ


恵まれて生きる命の尊さよ 名もなき草に光こぼるる


寂照の光うけつつ ひれ伏して み名をよぶこそ真実(まこと)なりけり


人間関係が宗教ではないが、人間関係を通さずして宗教はない


真実の歴史とは、その中に尊い生命が流れてをり、その歴史の中から更に尊いことが生まれて来、尊い人が生まれてくるに至ることである。


我のみがものを言っているときは、善を自分につけ、悪を人の上に見て苦しんでいます。みずからの悪を知り、人の上に善を見、尊さを拝むとき、心は広い世界に出られるようであります。