住岡夜晃先生のことば     2  4 5


善人も悪人も、男も女も、老いも若きも、唯、命をかけて正法を聞け。しかして、頭を下げて念仏申せ。


何がゆえに仏教のほとんどが現代人から捨てられたのであるか。答えは簡単である。頭の仏教となって、具体的な生活事実となっていないがゆえである。


煩悩よりほかに我に無きを知ってついに念仏相続して憶念の信を失わざるをもって浄土の真宗となし、正定聚の機となし、等正覚を得たる人となす。


阿弥陀とは無量寿 無量光なり   如来を信ずる者もまた 無量寿 無量光なり
永遠の安住ここにあり 永遠の努力ここにあり    永遠の懺悔ここにあり 永遠の感謝ここにあり


正法によって脈をとっていただいて、病ということに気づかねば、正法に随順するということはありません。


真実を語ろうとする前に、真実を行じようとする前に、沈黙して正覚の大音を聞くべきである。出世の本懐を満たされるであろう.


仏教が我らに与えたものは、徹底した充足であった。桜は桜で咲き、小草は小草で咲く。自然の相はすでにそれであった。


我らは人生における船底の火夫でいい。高く聳ゆる文明文化の殿堂の底に、如来金剛不壊の大信心に生きる力強い真実の人を求める。


問う、汝に全我をあげての求道の日はありたるか
人生はただ精進の中にあり